天辺ダッシュカンパニーは
今も、これからも挑戦し続ける。

代表取締役  芝山 健一

私たちは、挑戦する。22歳で龍神麺を開業してから、思い返せば挑戦の連続でした。社会人としての経験がなく、バイトから開業し、製麺所をつくり、セントラルキッチンをつくり、そして、ラーメン店を14店舗を運営、さらに全国屋約300店舗のラーメン店の皆様とお取引ができています。素人同然だった私が挑戦を繰り返し、そしてここまでこれたのも、挑戦する姿を見て、協力してくてた人たちがいたからこそ。今では幹部、各管理者、スタッフへと挑戦することの大切さを受け継ぎ、挑戦し成長してくれているからこそ天辺ダッシュカンパニーはさらに前に進むことができるのです。

「挑戦した失敗は評価に値する」



History

はじまりの店「龍神麺」

茨城県桜川市に「らーめん・つけめん 龍神麺」を開業。
実家のコンビニを廃業し、22歳の若さで店を構えました。ここから挑戦の歴史が始まります。



嫉妬から生まれた「活龍」

茨城県つくば市に「つけめん・らーめん 活龍」を開業。
初めて東京で、魚介豚骨つけめんを食べた芝山は、「これはずるい!」という嫉妬にも似た感覚に。それと同時に、これは茨城でも売れると確信。探究心に火が付きました。
何度も東京や千葉に出向き研究を重ね、茨城では初とも言える魚介豚骨つけめんのカウンター9席だけの小さなお店を開業。
そして、数週間後行列をつくる人気店になり、今では活龍は8店舗まで店舗数を増やしています。



発想力と行動力と実現力

芝山の発想力の源は、ラーメンに限らず、和食やフレンチ、さまざまなジャンルから着想を得ています。そして、失敗を恐れない行動力で、開発を行っていきます。そして、それを天辺ジャパンの専属のスタッフが商品化していきます。その連携が、活龍の姉妹ブランドや、企業の商品プロデュース、多岐に渡るスープの種類へと繋がっています。



天辺ジャパンのはじまり。

龍神麺の裏(代表芝山の自宅)の一部を製麺所に改装。
麺が思い通りにいかない。この製麺所との違和感が、自家製麺の始まりです。



スープ工場、忙しさで失いかけた大事なもの

活龍が軌道に乗ると、スープを作りながら、営業すること難しさを痛感。自宅の一部を改装しスープ工場を作りました。店舗では接客でお客様満足に集中し、工場ではスープに集中、接客を製造を兼任しないことで、味のブレを無くすこと、接客に集中する運営に切り替えました。



つくば製麺から、天辺ジャパンへ

麺の製造が安定した頃、知り合いのラーメン店から麺の依頼が増えていきます。そこで、新たに工場をつくり、つくば製麺を立ち上げ、本格的に卸を開始します。スープも販売するようになりました。そして、2022年、製麺所新設に伴い、天辺ジャパンへと名称を変更し、今では300店舗までラーメン店とお取引するまでになりました。